先日、Xで【ガチ恋営業してる配信者の特徴10選】というわんぬーさんの投稿が話題となった。
わんぬーさんのXのポストより引用【ガチ恋営業してる配信者の特徴10選】
— わんぬー🦔🦔 (@nahari1227) August 24, 2026
ガチ恋は、
勝手に生まれるものだけじゃない。
「好き」
「会いたい」
「嫉妬した?」
「ずっと一緒にいて」
恋人の存在は隠して、
付き合った後を想像させて、
裏ではDMや通話までして、
課金した時には誰より甘くなる。
ここまでされたら、… pic.twitter.com/aw6p31pQ9F
配信者やVTuberを応援するなかで、「ガチ恋」という言葉を目にすることは珍しくない。推しとして応援しているうちに、本気で恋愛感情を抱くこともあるだろう。
しかし、ガチ恋は必ずしも自然に生まれるものだけではない。配信者が意図的に恋愛感情を抱かせ、応援や課金につなげようとする「ガチ恋営業」と呼ばれる行為も存在する。
今回、わんぬーさんの投稿を読んで、改めてガチ恋営業について考えさせられた。
投稿では、「好き」「会いたい」「嫉妬した?」「ずっと一緒にいて」といった言葉を投げかけ、恋人の存在を隠し、付き合った後を想像させる行為について触れられている。さらに、DMや通話をしたり、課金した人には特別に甘く接したりする。
ここまでされれば、「もしかして自分だけは特別なのかもしれない」と考える人が出てきても不思議ではない。
投稿のなかで特に印象に残ったのは、「相手が本気になっていると気づいても、夢から醒まそうとしない」という部分である。
付き合うつもりがないのであれば、「付き合えない」と伝えることもできる。会うつもりがないのであれば、「会えない」と伝えることもできる。
しかし、そうは言わずに「もしかしたら」という期待だけを残し続ける。
その期待が、「もっと課金すれば特別になれるかもしれない」「もっと応援すれば自分を見てもらえるかもしれない」という気持ちにつながるからではないだろうか。
そして、実際に恋愛関係を求められた瞬間だけ、「勘違いしないで」「配信者とリスナーだから」と線を引く。
Xの投稿を読んで、この構造こそがガチ恋営業の問題なのではないかと感じた。
もちろん、「好き」と言ったり、恋愛的なやり取りをしたりすることがすべて悪いわけではない。双方がエンターテインメントや疑似恋愛として理解したうえで楽しんでいるのであれば、それはファンサの一つともいえる。
しかし、疑似恋愛を楽しませることと、現実に恋愛関係へ発展する可能性があると期待させることは別である。
「自分だけは違うかもしれない」という期待を意図的に持たせ、その感情が応援や課金につながっていることを理解しながら利用し続ける。それこそがガチ恋営業と呼ばれるものなのではないだろうか。
ガチ恋という感情そのものは悪ではない。誰かを好きになることは自然な感情である。
しかし、その気持ちを利用して、叶えるつもりのない「もしかしたら」を残し続けることは、果たしてファンサと呼べるのだろうか。
Xでのわんぬーさんの投稿は、「ガチ恋営業」について、改めて考えるきっかけを与えてくれた。
少なくとも、相手が本気であることを知りながら、その気持ちを利用して利益を得る行為は、美しいとは思えない。リスナーと配信者の適切な距離感について、各々が考えることも大切なのではないだろうか。






































